それでは皆様、お酒の用意を!

20代の折り返しに突入する二児の母が、感情任せにつらつら書くだけ。

クソオタになった理由

私と弟がある程度大きくなって、留守番にも自信がついた頃、夜間保育を辞めた。

夜は弟と二人きりになった。

でも辞めてすぐは、母は私達を寝かしつけてから出勤していた。

足元に置いた小さなCDコンポで「頭のよくなるCD」と題したクラシック集や、ヒーリング効果のある自然の音のCDをかけてから一緒に横になった。

他にも家には沢山のCDがあって、色々と流してくれたが、自然の音のCDに関しては、私のトラウマの1つだ。

最後のトラックのBGMを聞くと、身体の奥底がゾワゾワして、不安になって泣きそうになる。脳内再生でもしんどい。

そのBGMはちょうど母が布団から抜け出すくらいにかかっていた。
行かないでとごねた日もあったと思うけど、寝たふりをする日もあった。

そのうち母は週末になると「帰ってくるまで起きてていいよ」と言うようになった。

母が仕事へ行ってから、私達は起きるのに必死で、近くのレンタルビデオ屋さんで借りた沢山のアニメを観て時間をつぶしていた。

ここでようやく本題に入るけど、私達がクソオタになった根本的な原因はここにあると思っている。

らんま、うる星やつらGS美神犬夜叉、中華一番、焼きたてジャぱん。etc

弟と二人でどっちが先に主題歌をマスターできるか勝負しながらビデオを流していた。記憶が正しければ私が全勝だったな。ごめん弟よ。

今では、私は立派な夢豚兼腐女子
弟はよく分からないけど、可愛い女の子達が戦国武将になって戦うエロゲや、よく分からないけど、女の子が火星の案内をしたりするアニメオタクに。

そして父さんが夜一緒に過ごすようになってからも、このビデオ文化は廃れなかった。

相変わらずアニメも借りていたけど、父さんが好きな映画も借りるようになった。
アダムスファミリー、ポリスアカデミー天使にラブソングを
一番多く観たのはジャッキーチェンが出演している映画だったかもしれない。
「困ったときのジャッキー」ビデオ屋さんでの、彼の口癖だった。

困ったときのジャッキー、私もDVDを借りるとき使うようになった。
同時に、困らなくてもジャッキー映画が観たいって思うくらいにはジャッキーが好きになったけど。
最近観たポリスストーリー、あれは面白かったな。
ちなみに一番好きなのはゴージャス。

下の続き

男は朝になっても起きなくて、誰だコイツって気持ちのまま学校に行った。
でも学校から帰ったらいなくなっていて、母に男の事を尋ねたら「お店のお客さん、酔っていたから家で休ませていたんだよ」的なことを言われた。
そっか、お店のお客さんなら仕方ないなって思っていたけど、全然アウト。あんな嘘で騙されていた自分は可愛かったな。

次に"お店のお客さん"に会ったのは、母の店。
仕込みがあるから、カラオケでも歌って待っている?という提案に喜んで着いていった。もちろん弟も一緒に。

私と弟はカラオケが大好きで、あのとき歌っていたのはラムのラブソングだった。
変な所だけちゃんと覚えているのは、私がノリノリで歌っていた所に、男が突然ハモってきたから。マイクは持っていなかったけど、そこそこの声量だった。
歌い終わって妙な空気が流れると、母がキッチンから出て来て「ヒロだよ」と男を紹介した。
母の仕事柄、突然、○○さんだよ、と紹介されることは多々あったから何の疑問も抱かずに納得した。
母がまたキッチンへ戻ると、ヒロは「歌、上手だね」って褒めてくれて、歌うのを止めた私達に手品を見せてくれた。
(この時私は、ヒロが隣で寝ていた男とは気がつかなかった。男の正体を知ったのは、もっとずっと後)

親指が切れて元に戻る手品、割り箸がほぼ一本鼻に入っていく手品、意識を持ったハンカチが浮かび上がる手品。
子供騙しだったけど、子供だったから騙された。
今なら全力で笑うだろうな。特に、割り箸がほぼ一本鼻に入っていく手品はヒロの顔が物凄く痛そうで、ヒヤヒヤしたけどめちゃくちゃ笑えた。笑ってた。

それからヒロは一緒にご飯を食べに行くようになった。
きっと色んな所に連れて行ってくれたんだろうけど、しっかり覚えているのは大きなステーキ屋さん。
目の前でパフォーマンスを取り入れた調理をしてくれる有名なお店だけど、行った店舗はパフォーマンス無しのお店だった。
母がエスカルゴを頼んで食べることを強要してきたり、子供用のジュースの入れ物がめちゃくちゃ可愛かったり。

でも食べてる途中に眠くなって、ヒロの車で寝てた。


ヒロがいつから家に来るようになったのかも、もう覚えていない。
ヒロの実家から持ってきた大きなソファーが家に置かれる頃には、もう住みはじめていた気がする。

思い出したくても思い出せないのが、辛い。
本当に辛い。自分の記憶力の低さにラリアットしたい。

けどヒロが来てから夜は寂しくなかった事はちゃんと覚えている。こんな事ばっかり、ちぇ。

お前は誰だ

お前達が大きくなったら、一緒にお酒が飲みたいなあ。

夜、借りてきたDVDを観ながらお酒を飲む父は、たびたび私達にそう言った。
一緒にお酒飲んで楽しいのかな?って思っていたけど、二人の息子が産まれてから、私も父と同じ事を思うようになった。

一緒にお酒飲んでみたかったな。


私の母は17で私を産んで、シングルマザーで、夜の女だった。
弟は4つ下の種違い。(種違いについては大きくなってから知った事だけど、やっぱりなあって気持ちの方が強い。面白いエピソードがあるから後々話したいな)


ちょっと訳アリにも見えるけど、私の地元ではまあ、おそらく普通にありふれた家族の形。
そしてこれから書く父については虐待があったとか性的な何かがあったとか、そういうのは一切ない。本当に何もない。今思えば、驚くくらい普通の親子だったと、私は、思っている。

先にも述べたように、母は夜の女で私達は小さい頃から夜間保育に預けられていた。
夜間保育は、はじめのころは泣いてばかりだったけど、友達も沢山できて、それなりに楽しんでいた所もある。

母がいつから夜に働きに出ていたのかは分からないけど、気がついたらそれが当たり前になっていた。
そして彼女は23の時に自分の店を構え、今も店は続いている。普通に凄い。



母が自分の店を開いてから数年、私達3人家族は小さな1Kのアパートから3DKの広い賃貸マンションへ引っ越した。私は小学3年生だった。
弟と二人で、お風呂とトイレが別々な事に喜んで、畳じゃないフローリングの床にはしゃぎ回った。建物自体は、母が産まれる前からあった古い建物だったけど、中は修繕されていて綺麗だった。

住みはじめてから暫くは、日曜に家具を探し回っていたと思う。
正直、住みはじめた頃の事はちゃんと覚えていない。


父の初登場は、私が小学4年生のときだ。

六畳の和室の部屋に布団を並べて、弟と二人で寝ていたある日、聞きなれないイビキの音で目が覚めた。
隣に誰かいる。
母じゃない、明らかに母よりデカい。
怖くなって、起き上がって、デカい図体を見た時「は?アイツか?」って思った。

アイツは、3歳だかその辺りに一緒に暮らしていた弟の父で、こいつに関しては嫌な思い出しかない。

それで、おそるおそる隣を確認したら、アイツではなくて全然知らない男がいた。

それが父だ。

やっと登場した。

登場したから一旦切る。